「波佐見焼」の産地として、日本全国に知られている長崎県東彼杵郡波佐見町。
この町は、長崎県で唯一、海に面していない町でもある。400年以上の歴史がある伝統工芸品、波佐見焼は、山林資源が豊かな土地だったからこそ、発展し今日まで続いている。
本記事では、波佐見町の歴史的背景とともに、町の魅力に迫っていきたい。
※本記事は西海陶器株式会社のご協力のもとスポンサー記事としてJAPAN MADE編集部が作成しています
エネルギー革命とともに移りゆく町並み
窯元や商社が立ち並ぶ陶郷 中尾山。ここでは波佐見焼がつくられる過程を辿っていくことができる。波佐見焼は、16世紀末に大村藩主が当時の朝鮮から帰国する際に、同行した陶工が登り窯を築いたことが始まりとされている。薪を原料としていたため、大量生産のためには長い登り窯を要した。そのため世界第1位〜3位の登窯跡が、中尾山には残されており、現在では、世界第2位の規模を誇る中尾上登窯跡を見ることができる。
この地で、モノづくりが栄えた理由は大規模な登り窯を構えられる斜面に面していたことの他に、森林資材が豊富で、燃料となる薪を確保できたから、という理由がある。しかし、大村藩は佐賀藩(有田焼)、平戸藩(三川内焼)という他の産地に隣接しており、薪を巡っての争いが絶えなかったという。そこで藩境を明確にし、各藩が薪を確保するための目印として三方境傍示石(三領石)が建てられた。
薪から石炭へとエネルギー源が変わったことで、中尾山にはレンガづくりの煙突が町を彩るようになる。古い煙突や陶器が散りばめられた町並みと、各建物をつなぐ細い路地を散策していると、どこか懐かしい時代にタイムスリップした気分になる。
モノづくりを“食”で支えた鬼木郷
面白いことに、江戸時代から大衆向けを主に、大量生産を行っていた中尾山には多くの働き手がいたが、モノづくりに特化したエリアだったため、全く農地がない。
波佐見のモノづくりを、“食”の部分で支えていたのが鬼木郷である。工房に囲まれていた中尾山に対し、鬼木郷では峠を一つ超えると、全く違う風景が私達を迎えてくれる。日本の棚田百選にも選ばれている「鬼木棚田」が広がり、青々とした田畑は四季折々で異なる姿を見せ、訪れる度に新鮮な印象を残す。
秋には鬼木棚田祭りが開催され、地元の人がつくるユニークな案山子が棚田を飾り、多くの人が訪れる。中には「本物の人間と間違えて何度も話しかけてしまった」というほど、リアルなものもある。棚田を一望できる展望台には住民らによる手作りの休憩スペースがあり、この美しい風景を、これからも守っていきたいという気持ちが伝わってくる。
古くて新しいもので溢れている西の原
燃料が石炭からガスへと変わり、平地でのモノづくりが可能になったことから、製陶所の多くが、西の原に移った時代がある。現在では、その跡地を利用して、様々なギャラリーやショップ、カフェなどが並んでいる。
各店では、かつての様子を忍びながら、波佐見焼を実際に手にとって楽しめる。センスの良いお店が多く、今では町内屈指の人気エリアとなっている。地元で採れた食材を堪能しつつ、次はどのお店に行くのかを考えるのも波佐見町めぐりの醍醐味の一つだ。疲れたら個性豊かなカフェに立ち寄りながら、お気に入りの波佐見焼を見つける旅に出かけてみてはどうだろうか。
長崎県のほぼ中央、東彼杵郡北部の内陸部に位置し、長崎県内で海に面していない唯一の町。400年の伝統をもつ全国屈指の「やきものの町」として栄えてきた。日本国内の一般家庭で使われている日用食器の約13%は波佐見町で生産されたものと言われている。町内には陶磁器に関する約400の事業所があり、町内の約2,000人が窯業関係の仕事にたずさわっている。
https://ps-q.jp/tourism/hasami-town/