硯、墨、筆、紙
これらの4つは文房四宝と言われており、文房具の中心として、古代中国から賞玩されてきた。なかでも硯は他の消耗品とは違い、手入れをしていれば半永久的に使えるということもあり、骨董品として多くの文人に愛されている。硯とは、墨を水ですりおろすための道具であるが、書道を経験したことがある方であれば一度は使用したことがあるだろう。
前回に引き続き、そんな硯に関すること全般を受け持つ「製硯師」、青栁貴史氏にお話を伺うことができた。青柳氏は浅草にある書道用具専門店「宝研堂」の4代目であり、1939年に創業されたこちらの店は、都内では数少ない硯の工房を持っていることでも知られている。
パート2:【硯】生涯で育てていける硯を作る。本質を学ぶ重要性
書道を経験したことがあれば、一度は使用したことがある硯。しかし技術が発展した世の中において、手書きで文章を書く機会は減っている。そのような時代背景もあり、どうしても筆を持ったとき、「綺麗な字で書かないといけない」とプレッシャーを感じてしまう人も多いだろう。
しかし青柳氏は、硯というものを通して、伝えたいことが2つあると語った。彼は硯の「本質」というものを伝えたいという。
硯というものが、なんで生まれたか?それは最古の筆記用具ですね。筆で字を書いて、記録を残す。そして、お手紙を残したり、誰かに気持ちや状況を伝える。つまり最古の通信ツールということです。
そう考えると、綺麗な字である必要は必ずしもないのです。どなたでもボールペンや、普通の筆記用具を普段使われているように、硯も使って頂きたい。そこで、やっぱり綺麗な字を書けるようになりたいねってなった時に、書道教室に通って頂くのでもいいのです。「習う字」と「自分が持っている自分の字」というのは違うので、最古の筆記用具の継承者として、自分の字も許してあげてほしいです。
綺麗な字である必要は必ずしもなく、一般的な筆記用具と同じように、多くの人に硯というものを使ってほしいと語った青柳氏。一筆でも何か添えて、プレゼントをすると、書く方も、もらった方も嬉しいという言葉が印象的であった。
伝えたい1つめの本質は、「筆記用具」としてであったが、2つめとしては、「芸術」としてということであった。
中国だけではなくて、日本の政治家の先生方や美術品が好きな人に愛される、「芸術の世界」にまで発展した道具なので、やはりそういった筆記用具の枠を超えた芸術に昇華した一面もお伝えしたいです。墨をするのではなく、手をするように愛でることもできるということですね。やはり実用的な筆記用具と、鑑賞性を付帯した芸術面、その両面をお伝えしたいです。
筆記用具としてだけではなく、芸術としての鑑賞性を伝えたいと語った青柳氏。「墨をするだけではなく、手をするように愛でる」という感覚は、自分が愛する文化を堪能している人にはわかる感覚であろう。実際に硯を作っているとき、何度も手で触れ、その感覚を確かめている彼の姿からは、彼がいかに硯、そして文房四宝という文化を愛しているかが伝わってきた。
1939年に創業されたこちらの店は、都内では数少ない硯の工房を持っていることでも知られている。
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